新卒からITエンジニアとしてやってきた男が、10年で4社目を経験して辿り着いた「境地」

私は社会人10年目、つまりITエンジニア歴も10年。転職3回を経て4社目の現在は、ドクターメイトという医療介護系のベンチャー企業で働いています。

今すごく充実している。そりゃ職場には気が合わない人だっているし、ムカつく瞬間だってある。でもそういうことではなくて、なんというか「迷いがなくなった」みたいな。これが僕の辿り着いた境地だと思います。

「持ってる」側の人間だと思ってた20代

私は新卒でワークスアプリケーションズという会社に入社した。新卒研修等で有名な会社だった。研修で結構良い結果を出したことで、給与が100万上がり、同期の上位10%ほどしかいないグレードからのスタートとなった。体力も精神力も根性もあった。毎日9時から終電まで働き、部長や先輩のパワハラなどにもめげなかった。社長賞をとるような上長に気に入られ、右腕と勝手に自負して働き、上長が転職する際に、自分も「引き抜かれた」形でついて行った。

自信のない人間だった自分は、厳しくて辛い仕事をこなすことで、自分に自信を持てるようになるのでは?と考えて1社目を選びました。会社の内定を承諾した段階で「自分はITエンジニアとして食べていくんだ」と腹を括りました。多分この覚悟が幾分か周りよりも明確にあったからか、研修で良い結果を残す事ができたのだと思っています。退職時も、ITエンジニアとして今後も働いていくことに迷いはなく、これからもこの仕事を続けていくんだと漠然と考えていたと思います。内実は何も考えてなかったに過ぎないのだけど。たまたま体力とやる気を持ち合わせ、長時間労働で他者より上にいると見せかけて、尊敬する上長を自分のことかのように誇っていました。

「持ってる」側の人間ではなかったとようやく認識した20代末期

私はGAテクノロジーズという会社に転職した。転職同期も同僚も新卒さえも皆んな優秀だった。私はそこで引き続き「右腕」として夜遅くまで働いた。テストも書かず、仕組み化もせず、ただ売れるための機能を作り続けた。半年も経たず、自分が携わっていたプロダクトは技術負債だらけの「なにか」になった。上長のさらに上にいる部長はそれを評価しなかった。厳しい評価を食らった。周りの目が怖くなった。逃げるように退職した。

上場後間もないイケイケ期だったので、転職組や新卒はみんな優秀で、そんな環境にいる自分も「持ってる」側だと思ってました。たしかに頑張って仕事してた。だけど、対処療法ばかりで、ググって見つけたコードやコマンドをペタっと貼り付けて、動いたらもうそれ以上ナゼナゼもせずに次に行くだけでした。ずっと右肩上がりに成長していくのが自分の人生なんだと思ってました。そこで厳しい評価を食らい(新卒並のグレードに降格だったと記憶。もうそれすら覚えてない)、逃げるように退職する決断をしました。ある先輩は「お前は主人公じゃない、一度屈伸したほうがいい」と、厳しい(けど愛のある)言葉を送ってくれました。とはいえ、しんどかった。

ITエンジニアとしての「頑張り方」を見直し始めた3社目以降

私はナビプラスという会社に転職した。皆んなリモートワークかつ定時あたりで退勤する余裕のある職場だった。誰も自分の過去を知らず「リスタート」するには願ってもないほどの環境だった。分からない事象に直面したら分かるまでナゼナゼしてみる、問題に対処したら原因の道理まで理解してみる、テストを書く、仕組み化する、などなど、毎回足を止めてでもやると決めた。2年経った頃、部署のテックリードという肩書きをいただいた。色々な事が出来るようになってきた。やっとエンジニアとして「一周」してきた気がした。

3社目に転職する際に、エンジニアを辞めようかという気持ちもあったのですが、他に何をする選択肢もなかったので、消去法でエンジニアを続けることにしました。ただ、それまで「対処療法」てきな仕事の仕方だったのを「原因療法」てきな仕事の仕方に変えてみることにしました。毎回足を止めてナゼナゼを繰り返すうちに、当時のフレームワークであるRails、言語であるRuby、DockerやCIなどの現代エンジニアリングに不可欠な技術への理解がすごく深まりました。それまで「点」で理解していた物事が「線」で繋がっていく感覚がたくさんあり、当初思ってた以上に楽しかったと記憶しています。またユニットテストを必ず書く習慣をつけたり、AWSの資格をとってterraformを書き始めたり、Autifyというブラウザテストツールを導入してQAの自動化をしたり、色々地に足をつけてやってきました。2社目の辞め方の後ろめたさもあって、それまで関係のあった多くの人とは疎遠になり、周りからすれば「あの人はいま」状態だろうと思います。正直なところ凄く寂しかったのですが、やっと独りで自分の「エンジニア」という人生を歩き始めたと言えます。

1度は降りようとした「エンジニア」というキャリア

2社目のGAテクノロジーズを退職してから僕は、エンジニアとして今後もずっとやっていける自信がなくなった。「もうあと10年もしたら食べてはいけないだろう。その前に別の道も模索しなければ…」そんな事も考えていた。いわゆるクラフトビールが好きだった自分は、ビール造りに関わってジョブチェンジできないかと淡い期待をしていた。事実、副業で地元のビール醸造所の手伝いを始めた。ただ現実は甘くなく、30歳近くまでデスクワーク中心の自分がやるには過酷な肉体労働、高い飲み物の割に薄利な業界、つまり「薄給激務」な現実を思い知らされた。そんな現実を見て、それでも飛び込む度胸も勇気も信念もなく、ゆるく繋がるだけの関係にとどまった。

時系列的には少しだけ遡り、2社目を退職してから暫くの間の出来事です。副業ブーム真っ只中の世間。自分も副業で別業界に片足を突っ込むことで、エンジニアを辞める道を模索しようというのが魂胆です。新しい友人も繋がりも増え、はじめての事や楽しい事もそれなりにありました。ただなんというか、どことなく「逃げている」感覚もありました。

結局「すがる」しかなかったエンジニアという職歴

エンジニアを辞めるつもりで醸造所の仕事を手伝い始めた。結論から言えば、ホームページの改修やECサイトのリプレイスなど、ITエンジニアの仕事の延長みたいな仕事は対価をいただけるような貢献ができたが、それ以外は何も貢献できなかった。僕はエンジニアに向いていない、だからエンジニアを辞めて別業界に行こう、という計画だった。結果として、僕は別業界での基礎的な業務でさえも満足にこなせなかった。結局、エンジニアとしてやってきた経験やスキルを活かす事でしか役に立てなかった。自分で否定したはずの自分のエンジニア経験に、僕はすがらないと生きていけないのだと思い知った。

書いたとおりです。結局、曲がりなりにもエンジニアとしてやってきたこの10年を無くすと、自分には何も残らないという事を自覚しました。ここまできてようやく、自分の可能性に見切りをつけて「ITエンジニアとして実直にやって食べていく」と再び腹を括りました。

そして今

人生2回目の「ITエンジニアとして食べていく」覚悟を決めた後、僕は4社目のドクターメイトに転職をします。理由は、祖父の認知症や、介護に奔走する母の姿を見て思うところがあったからです。どうせITエンジニアとしてやっていくなら、自分が問題意識をもっている介護業界で、どんな雑務でも実直にやっていくんだ、というシンプルな思いです。

SNSやブログ等を通して目にする世間のエンジニアは、目を背けたくなるほど凄い方々ばかりです。ただ、最近の自分はそれを目にしても、以前ほど卑屈になったりはしなくなりました。それは、自分に見切りをつけたからなのか、目の前の仕事に夢中だからなのか、腹を括ったからなのか、分かりません。1つ言えることは「迷いはなくなった」です。これが僕が至った「境地」です。

さいごに

もしこれを見てる方、僕を知っている方、これが自分です。関わった事がある方々、当時はお世話になりました。僕はこれからもITエンジニアとして仕事をしていきます。